2021年4月1日に着任した濱田健一郎と申します。
2021年秋に父と交代し院長に就任しました。
大阪大学医学部附属病院では約9年間、骨軟部腫瘍領域(骨や筋肉などに生じた腫瘍)の疾患の治療を担当しました。
同時に大阪大学整形外科関連病院において、打撲、捻挫、骨折、骨粗鬆症など一般的な疾患に対しても加療を行ってきました。
整形外科が扱う疾患は、骨折や捻挫などの外傷のほか、肩、手、膝、足などの関節の痛み、腰痛など背骨の痛み、骨粗鬆症などその他さまざまです。
画像診断のみならず臨床所見に基づいて日常生活に支障となっている病態の原因を評価し可能な限り保存的(手術をせずに)に治療を行います。
また、私自身がケガや病気で整形外科にお世話になりました。2018年にはスキーで転倒し右上腕骨頚部骨折を経験しました。また2020年には腰椎椎間板ヘルニアに罹患し耐え難い痛みと下肢の麻痺のため同年7月には手術を受けました。
このように整形外科疾患に起因した痛み、しびれなどについては患者の立場として経験しており、そのような経験も踏まえて診療を行っています。
当院に受診された方で手術による治療が必要な方や専門医による診察、治療が必要な方は適切な時期に近隣病院や大学病院などに紹介しています。
当院も開業後約30年経過し、2021年秋に改装を行い、新たに骨密度測定装置(DEXA法測定装置)を導入しました。
今後はリハビリテーション室の改装工事を予定しており、時期は未定ですが、理学療法士(現在は当院には在籍していません)と共に運動器リハビリテーションを開始したいと考えています。
これまで同様、引き続き地域の皆様が安心して暮らせるように、分かりやすく丁寧な対応を心掛けて川西市の地域医療に貢献してまいりたいと考えていますので、よろしくお願いします。
医療法人社団 浜田整形外科 院長
濱田 健一郎
専門医 | ・日本整形外科学会 整形外科専門医 ・日本整形外科学会認定 運動器リハビリテーション認定医 ・日本整形外科学会認定 スポーツ医 ・日本整形外科学会認定 骨・軟部腫瘍医 ・日本リハビリテーション医学会 臨床認定医 ・日本骨粗鬆症学会認定医 ・日本がん治療認定医機構 がん治療認定医 ・義肢装具等適合判定医 |
---|
平成11年3月 | 熊本大学医学部卒業 |
---|---|
平成11年6月 | 大阪府立病院(現大阪府立急性期総合医療センター)研修医 |
平成13年6月 | 大阪船員保険病院(現大阪みなと中央病院)整形外科医員 |
平成15年4月 | 大阪大学大学院医学系研究科整形外科 大学院 |
平成19年4月 | 大阪大学医学部附属病院整形外科 医員 |
平成19年7月 | 大阪府立成人病センター(現大阪国際がんセンター)整形外科 医員 診療主任 医長を歴任 |
平成24年7月 | 大阪大学大学院医学系研究科整形外科 助教 (学内講師兼務) |
令和3年4月 | 医療法人社団 浜田整形外科 院長 着任 |
川西市の医療法人社団浜田整形外科創業者の濱田秀樹と申します。
私は平成4年6月に縁があり川西市栄根で浜田整形外科を開業し、約30年になります。
昭和43年に大阪大学医学部を卒業後、インターンを経て整形外科を選択し、以後約50年間整形外科の診療にあたっています。
大学勤務時代は整形外科の中では骨軟部腫瘍という非常に稀な病気を専門に治療を行ってきました。現在は整形外科一般の疾患や外傷も含めて幅広く診療しています。
患者さんに対する私の心がけは、患者さんの話をよく聞くこと、細かく診療することです。
疾患に関することや、レントゲン画像に関することも丁寧に説明します。
また診断結果及び治癒するのにどの程度時間がかかるかを平易な言葉で伝えることです。
もちろん、問診に加えて理学所見や画像診断をもとに総合的に診断しています。
私のモットーは「一隅を照らす」(最澄)です。
今後も引きつづき川西市の地で整形外科疾患を中心に幅広く地域密着型の診療所として地域医療に貢献していきたいと思います。
よろしくお願いします。
医療法人社団 浜田整形外科 創業者
昭和43年、大学を卒業しましたが、当時は学生運動が盛んで、当然医学部にも波及し国家試験が6カ月延期となりました。
医師免許は昭和44年1月に取得、卒業後は医師見習いとして特殊救急部(今の救命救急センター)、麻酔科を勉強しました。
医師になって当時は2年間、どこの科も選択できました。
それで私は市立川西病院外科に1年間研修しました。学生運動の余波を受けて結局外科を断念し整形外科を選択しました。
研修は大阪大学医学部附属病院を皮切りに多くの病院(当時は6カ月交代)で研修を受けております。
大阪大学整形外科入局に当たり、骨軟部腫瘍を志しました。
元来、悪性腫瘍(がん)に関心がありました。
医学部学生の時に西脇市の軟部肉腫を患った女子高生の友情物語が流行歌になり本が出版、
映画化(主演吉永小百合)されロケも阪大病院で行われました。
偶然とはいえその女子高生の病理標本を授業で観察することが出来ました。
そのため第一病理教室に1年6カ月、勉強した後に整形外科に復帰し
大阪大学医学部附属病院整形外科で約8年間骨軟部腫瘍部門を担当しました。
その後大阪府立病院(現大阪府立急性期総合医療センター)整形外科部長として赴任、
骨軟部腫瘍疾患以外にも脊椎疾患、関節疾患、骨折などの外傷の患者さんの治療、また研修医の指導を行いました。
約7年間の勤務後に平成4年に大阪府立病院を退職、現在の地に開業しました。
川西で開業した理由は2年間、市立川西病院でお世話になったこと、
その後も大阪大学勤務時代に川西市内の病院で外来診療を継続して行い川西市と縁が深かったからです。
平成4年という頃は県道13号線、阪急電車の川西能勢口駅周辺の高架工事の最中で現在の診療所の建物の完成直後でした。
それから現在、約30年間この川西市で浜田整形外科では患者さんの笑顔のために診療をおこなっています。
昭和43年3月 | 大阪大学医学部卒業 |
---|---|
昭和44年2月 | 大阪大学医学部附属病院特殊救急部 |
昭和44年7月 | 市立川西病院外科 |
昭和45年7月 | 大阪大学医学部付属病院整形外科 |
昭和46年1月 | 那智勝浦町立温泉病院整形外科 |
昭和46年7月 | 大阪厚生年金病院(現JCHO大阪病院)整形外科 |
昭和47年7月 | 大阪船員保険病院(現大阪みなと中央病院)整形外科 |
昭和48年1月 | 市立川西病院整形外科 |
昭和49年1月 | 住友病院整形外科 |
昭和50年1月 | 大阪大学医学部病理学講座 |
昭和51年6月 | 大阪大学医学部整形外科助手 |
昭和56年1月 | 大阪大学医学部整形外科講師 |
昭和60年6月 | 大阪府立病院(現大阪府立急性期総合医療センター)整形外科部長 |
昭和63年1月 | 医学博士号取得 |
平成4年6月 | 川西市栄根にて医療法人社団 浜田整形外科 開院 |